タケコが逝った日 
  
 
ワタシが、本当に大切なモノを初めて亡くした日です。

2002.4.14(日) お空に還った日
2002年4月14日、日曜日の早朝。
朝、起きていくとタケコは玄関前まで出てきていて、階段を見上げるポーズで息を引き取っていました。
ワタシ自身、「お疲れ様」という気持ちの方が大きく、前日少し元気に見えたのは最後の力を振り絞ってくれたんだなぁと感じました。
タケコは頑張って闘病したんだから、泣くまいと思っていたのに、弛緩のために流れ出た糞尿を掃除してあげている時、一番最初に泣き出してしまいました。
タケコが亡くなった時、家族は全員家にいて、お別れをすることができました。
タケコの体がどんどん冷たくなっていくのを感じて、「体の芯まで冷える」というのは、こういうコトなんだなぁ、と感じました。
外が好きだったタケコのために、玄関を開けて外を見せてあげていました。
そのとき、カラスが玄関先に舞い降りてきたんです。
カラスは死人が分かる」というから、タケコの死臭を嗅ぎつけてきたのでしょうか。。。
そのとき、「今日霊園に連れて行き、荼毘にしてもらおう」と決めました。
苦しみつづけた最期、早く開放してあげたいという気持ちと、ワタシ達の仕事が忙しいのを理解して今日逝ってくれたのだ、タケコの意志を尊重しようと思いました。

 
2002.4.14(日) 荼毘に。。。
この日は、すごく澄みきった、雲ひとつない、キレイな青空が1日中続いた日でした。
よく、死人の涙雨とか言うけれど、タケコは思い残すことがなく安心して逝く事が出来たからこんなにいいお天気だったのかしら、、、と思わせてくれるほど、そんなに天気が良くなかった日々の中の、お天気の良い1日でした。
ワタシは、このお天気の日を一生忘れないでしょう。
タケコが心臓を患ったときから、タケコが死んだときのコトを考えて霊園も決めていました。
ワタシ・母親・弟で昼過ぎに霊園に連れて行き、お骨拾いまでタケコを見守りました。
タケコが火葬される瞬間の、扉が閉まる瞬間の「本当に(タケコの肉体とは)サヨナラなんだ」と思い知らされた1瞬でした。
タケコが空へ還っていく。。。
辺り一面、タケコの匂いで一杯でした。
澄み切った空にタケコが還っていく姿を見つめながら、「タケコ、ねーちゃの元へ来てくれてありがとう」と何度も思い、この頃には泣きすぎと今日1日に起きた様々なことで頭痛が最高潮となっていました。

 

2002.4.14(日) 帰宅
お骨になったタケコを霊園に置いていくことが出来ず、連れて帰りました。
小さくなった骨壷のタケコに「帰ってきたで〜」と言うと、また涙、涙、、、。
玄関先の棚にタケコのスペースを作り、写真を飾り、タケコのダイスキだったポテトをお供え。。。
上のでっかいフレームは以前から飾っていたもの。
その下にタケコの写真を沢山飾りました。
ラッキーのママしゃんに頂いたお花。
ホント、気を使ってくれてありがとうね。
今現在、このお花は母親の押し花作成シートの中に入っていて、後日、タケコの額を作った時に周りを華やかに飾る押し花になる予定です。
 

  
思えば、あの日にタケコが死んだのは最初から決めていたような気がします。
 
あの時期、家族中が仕事に忙しく、平日に亡くなったら霊園まで見送り、お骨拾いもしてあげられなかった状態だったからです。
 
亡くなる前日、ワタシはトモダチとの予定をキャンセルし、1日タケコと外でのんびり過ごすコトが出来ました。
亡くなった当日、もう少し亡くなる時間が遅ければ父親と妹はお別れが出来ませんでした。
 
そんなコトを色々考えてるとタケコは思ってたほどおバカなお嬢さんじゃなかったんだろうな、と思わせてくれました(親ばか?)。
 
タケコは今までも、これからも、ワタシの一番大切な親友で、愛すべき小さな命でした。